『学び方は人それぞれ』という、ごくごく当たり前の話について

考察

最近不動産投資の勉強を始めましたセナです。もう自分が何屋なのか自分でもよくわかっていません。来年は絶対に制作者に戻ろうと思っていますが、もう今年は会社の事やら何やらいろいろ合ったので、別に何者じゃなくてもいいかなって思ってます。

で、そんなこんなでWEB制作以外に手を出しまくった挙句、ブログもあまり更新できていないのですが、でもその代わり今年は年始からとんでもない数の人と話をしました。

今年は去年に勝って『海外で頑張りたいですっ』っていうような、要するに留学生と呼ばれる人たちと話をしてきて、いろいろな事を感じた一年だったんですが(まだ今年全然終わってないけど…)、当然ながら、海外に挑戦しにくる人って皆何かしら必ず学ぼうとしている人たちなわけです。もちろん日本にいても何かを学び続けなければならないのは当たり前なんですが、留学しちまえば学ぶ以外にする事はほとんど無い(はず…)。なので、360度見渡せば皆何かしら勉強していて、それはそれは自分のモチベーションを上げる上で、これ以上無い環境だとは思うわけです。

しかし、当然ですが、学ぶ人によって同じ事をしているのにもかかわらず成果が違う。結果が出る人は数ヶ月で出るのに、出ない人は数年経っても出ない。そういうのはザラに目にします。英語なんてまさに代表例ですが、わかりやすいのでそれで例えますが、それこそ、Q君は半年程度で英語なんて習得し終えたとか(本人大真面目で)ふざけた事言ってるし、僕はこっちに住んで7年経っても(上達はしてるんだろうけど…)誰かのサポートが必要です。

WEB制作にしたって同じ、ある人は3年程度経験を積み、学校に通わなくても国外で通用するレベルの技術力を備えて居る人もいれば、5年かかる人だっているし、10年やっててコレかってレベルの人も正直います。

で、これは僕の悪い癖なんですが、そういう人たちに傾向がないか、何か特徴がないかっていろいろ考えるんです。一度考えたらハマってしまうので、自分で納得できるまで考えるんです。で、あーそう言うことかね?って自分の中での勝手な結論が出たんで、その話を今日は書いてみようと思います。

『学び方』に対するスタンス

例えばどこぞのめっちゃ偉い人が「英語は単語さえ出来れば万事OK!」って言ったとしましょう。または、どっかのかっこいいイケメンが『英語はこのCDを聞き流すだけでOK!』でもいいですね。まぁそういう謳い文句を聞いて「この人が言うんなら(実績もあるし)間違いないだろう!」って深く感銘を受け、自分もやってみるわけですが、うまく行かない…。そんな経験ありませんかね?

で、これ、学ぶの上手な人から言わせれば当たり前なんですよね。だって、それに挑戦した貴方はそのどっかの偉い人じゃない、まったく別の人間なんだから、合っている合っていないがあって当然。

でも、世の中見渡すと『学び方』って至極限定されて見えてしまう。机に向かって本を読んだり、参考書を見る事が『勉強』だと思い込み、たまにどっかの偉い人が『この勉強法は最高だ!』ってなればそれに手を付けるし、また別の偉い人が『この方法で私はすごくなった!』って言えばそっちに手を付ける。

誰かが机に向かって勉強しろと言うからしてみたけど、うだつがあがらなかった。だから自分は勉強出来ない。この方程式は確実におかしいわけです。もしかしたら机じゃなくてジャングルで勉強した方が効率がいいかも分からないわけじゃないですか。それが違うといえるのは試してみた人だけだと思うし、その人が無理でも自分には合っているかもしれない。自分にピッタリな学びの場や環境、そして方法はそれこそ星の数程可能性はあるはずなんです。

これ、前に何かの記事で書いたかもしれないんですが、たとえ9割がAという勉強法であったとしても、自分が残り1割のBやCでも無い可能性ってのは、自分しかわからない物だと思うんですね。で、学び方なんてその典型だと僕は沢山の留学生を見てきて思うわけです。

つまり、いきなり結論を書いてしまえば、学ぶことが上手な人とは『自分との対話が上手い人』であると、僕は数百人に及ぶ留学生や国外に挑戦するクリエイターを見てきて思うわけです。まぁ当然よねーって思う人は読み進める必要ゼロかと思いますので、そのままUターンしてもらえれば良いと思うのですが、僕はそういう考えの元、自分の学び方を決める人なので、正直誰が何をどう学んだかなんて基本はどうでも良くて。その学び方は自分にあっているか、自分はどういう人間かをきちんと意識する事の方が断然大事だと、僕は思うわけです。

・・・以上、これだけで僕が言いたいことはほぼ言い尽くしたんですが、なんか物足りないので、少なくとも僕はこういう学び方のスタンスを持つ人を知っているってレベルで、幾つかパターンをご紹介しましょう。おそらく、これすらも星の数程ある学び方のほんの一部に過ぎないとは思うんですが、ご参考までにどぞ。

考えても無駄だけど、感じる学び方がうまい人

これはバンクーバーな僕らのQ君に該当します。彼は周りが認める程、相当英語が上手いです。そしてコミュニケーション能力が高い。僕自身も自分が不得意とする英語での交渉時には何度も助けられました。そんな彼に英語の勉強法を聞くのは、ごく当たり前の流れだと思うのですが、彼の口から返ってくる言葉は、当時はひとつも信用しませんでした(笑)

『エミネムの音楽聴きまくったら覚える』だの、『聞こえてくる音をそのまま口にするだけの簡単な事でしょ?』だの、『友達作ったら使うしかないじゃん(笑)環境だよ環境。』だの、僕のように頭でっかちな人間には到底及ばぬ勉強方法ばかり。

当時は、英語を学ぶ人とはつまりめちゃめちゃ机に向かって何万語も覚え、すべての文法をマスターした人の事だと思っていたのですが、彼は関係代名詞の単語の意味すら知りませんでした。しかし、実際の会話では赤子と大人の差が僕らにはあります。何より、彼は会話で人を笑顔に出来ます。これって英語だけ勉強してたら身につかない英語面での対人スキルなんですよねぇ。

かの有名なブルース・リーは言いました。

考えるな、感じろ!

これ、学び方に該当してる人っていますよね。ぶっちゃけ机に向かってやる勉強の一切に成果は出ない、Q君もそうですが興味のある分野以外には本気で何もしようとしません。しかし、実際にその環境や状況、自分が楽しいと感じる事に大しての学びの力は異常な程の集中力をみせ、そこには机も椅子も必要ないって人の事。

こういう人を机と椅子に縛り付けても、何もいいことはありません。できるだけ天真爛漫に学んでもらう中で、僕のような人間が使えるポイントを抑えるしか無いと僕は思っています。

とにかくパクる事(コピー)がうますぎる人

『パクリ』って、なんだか悪い事をしているような印象は受けますが、ぶっちゃけ服とかの着こなしも、雑誌や芸能人の着こなしのパクリから始まる事って多いですよね?それでもそのままパクったらオリジナリティが無いから、ちょっと色変えてみたり、上着の種類を変えたりする。そうしていく中で、自分だけのファッションが見つかる。

学びもそれと同じだと僕は考えています。ベースがゼロの状態からそれをイキナリ学びだす事ができる人や、おそらくこれは重要なポイントだろうと意識する事ができる人は良いのですが、そうじゃない人は確実にいる。そういう人の中にも、パクっていく中で自分にとって重要なポイントってあると気づく。そういう流れかなぁ。

パクって覚える事が重要って、そんなの聞いたことあるって人は居るかと思いますが、本当にパクるのが旨い人っていうのは考え方自体がまず誰を真似るかから考えるんですよ。

例えば、やっぱり事例に出しやすいので英語の事になるんですが、皆さんがWEBデザイナーだとしましょう。で、英語を学びたい。この時コピー名人からすれば『WEBデザイナーで英語を使う人のコピーから、英語の勉強を開始する』んです。

当たり前ですが、貴方がなりたいのは『英語が話せる人』じゃなく、『英語が話せるWEBデザイナー』であるはずです。でも英語をまっさらな状態から勉強しようとする、この方法でベースを作りながら基礎から応用へと、通常通り学べる人は良いのですが、コピー名人にそんな時間は無い。WEBデザイナーならWEB制作の勉強を優先するべきだし、英語に割く時間は極力少なくしたい、じゃないと本業であるはずのWEB制作のほうで遅れを取る。じゃぁ効率を優先して英語圏で働くWEBデザイナーの言葉を丸々コピーしてしまおう。そうすれば手っ取り早く『英語が話せるWEBデザイナー』の完成です。

こういう図式です。実際ゼロからベースで学ぶ人の方が確かに時間をかける分、知識は深まるのかもしれませんが、WEBデザイナーは別にEnglish Speakerになりたいわけじゃない、WEB Designerになりたいんです!

そんな勉強法が得意なのは間違いなくFrogから現在英語講師として登壇してもらっているティミー玉手さん。彼はバンクーバーで4年WEB制作会社に勤めた後、カナダのIT専門学校のアドバイザーに就任。当然英語圏の人にWEB制作を教えていますし、WEB制作者としても優秀です。

彼はおそらく間違いなくこのコピー人間タイプだったでしょう。そういう学び方が型にハマる人も間違いなくいるんです。

見えないコツか何かを見つけるタイプ

こればっかりは分析不可なんですが、とりあえずまたわかりやすいので英語で事例を出しましょう。

もうぼちぼち1年くらい前になるんですが、当時、バンクーバーにいる19歳の女性からBCIT(カナダのIT名門校)に通っていて、キャリアプランについて相談があるから的な感じでお話させて頂く事がありました。

北米の学校は入るのは簡単、出るのが難しいとはよく言われた物ですが、僕ら外国人にとっては学業についていくだけの最低限の英語力(IELTS6.5以上)というそれはそれは高い壁が立ちふさがります。

だいたい、IELTS6.5って言ったら、一応規定としては英語圏で生まれて高校を卒業するくらいの人のレベル。一朝一夕で取れるスコアじゃ無いわけですね。

しかし、彼女はそれすらも『結局スコアを取る物すべてにはコツがある、要はそれを見つければ良い話』と、なんとも「貴様、天才か!?」と思わせる言葉を口にしたのです。

でも、確かにそういう人、たまにいますよね。そんなめちゃめちゃ勉強してる風にも見えないんだけど、めっちゃ高いスコアを取ってしまうような人。人生楽しいだろうなおいって思えるような、そういう次元が違うって思ってしまう人。彼女のような人は、僕には見えていないコツや仕組みがきっと見えていて、それを見つけだす事に秀でるための努力がきっとどこかにあったと思うんです。

ただ、コツを探そう探そう、人に聞いてなんとか自分の物にしようとしても、僕は何の事だかさっぱりわからない、結局コツを見つけるのに数時間もかければなんとかなる人と、数年経ってもなんとかならない人と別れるんだろうなと思うわけですね。

なら、コツを探す前に誰かのコピーをしたほうが良いかもしれないし、また別の方法で勉強した方が良いのかもしれない。これも結局は人に合う合わないがあると思うんですよね。

“毎日コツコツ”ができる人

これは僕から見れば特殊能力的な何かを持っている人です。僕には絶対マネ出来ませんが、毎日コツコツ続けられる人の事ですね。

Frog Houseにこんな住人がいます。大学時代から英語を勉強し続け、朝/夜にカフェで文法を勉強し、通勤時間と仕事後に単語帳で単語を学び、PodcastでNHKでリスニング、一日一本は必ず英文の記事を読み、オンライン英会話でスピーキングを練習する。

このルーティンワークを4年程続けた結果、留学経験皆無でIELTS6.5を取得したという超強者がいます。

正直言えば、僕は留学経験なしでそこまでのレベルになった人は7年住んでいて初めて知り合いました。そのくらい日々の習慣として自分をストイックに追い込める人って言うのは僕から見ても希少価値があり、才能と呼べる何かだと思うわけです。

彼も先ほどの女性と同じくBCITに通いWEB制作を学んでいるのですが、この”毎日コツコツ”は全てにおいて通用する素晴らしいスキルだと僕は思うんですね。

でも、残念ながら僕は無理なんですが。

自分にプレッシャーをかけまくらないとやらない人

体重10kg落とすまでアフリカから帰らないという、アホなこと言ってた人を一人知っていますが、そういうタイプ(アフリカとダイエットがどう関係あるかは知りません…)。英語できるようになるまでウィスラー行ってくるとか、人に大切な物を渡して目標を達成するまで絶対に返すなというような方法を使った人もいたし、条件や制限、はたまた弾圧など。とにかく何かしらの方法を使って自分に制限をかけて何かを学ぼうとするタイプの人ですね。

このタイプの人には本当に、精神力の強さに恐れ入ります。僕ならなんだろう… 携帯とか?財布かな?

ある人は、本当に窮地に陥らないと自分は何もしないということを自覚していて、お金をほぼ持たずに海外に行き、武者修行しながら生き抜くという、果たしてそれにどんな意味があるのかわからない行動を取った人もいました。正直して欲しいとは全然思いませんが、そうやって自分に何かしらのプレッシャーをかけないと何もしないような人は、確かに少なからずいますよね。

人から教わるのが上手い人

これ、正直教える側から見て取れるのって、教えるのが上手いか下手かは個人的に些細な問題だと思うんです。ただ、教わる事に大してのコツを知っている人が中にはいます。

WEB系のスクールでも、お金を払ってるんだから教わって当然、自分が伸びないのは相手の教え方が下手なせいだとなっている人は論外。その下手くそな教え方だと思っている人から教わって、うまくなった人が本当に誰も居ないのか。一人でも居るなら、それは自分の教わり方が下手くそな場合が多い。

相手が何を求めていて、自分が何を求めているのか、どうすれが教える側と教わる側でその利害関係がうまく形になるのか。それは時に対価なのかもしれないですし、時に感情の部分かもしれないし、それは教える側と教わる側が同じ人間であるわけが無いんだから、常に考え続けなければならない物だと想うんです。

ただ、このタイプにも向き不向きがあると思います。正直、教わる事が無いと一度思ってしまったらその人から教わる時間はただの苦痛でしかありません。携帯いじってた方がマシってなる。実はまだその教える人は自分が知らない事を知っている可能性もあるのに、それを引き出そうとすることが面倒で仕方がない。その場合は独学した方がまだマシとも思えるわけです。

更にはこのタイプは学校などに属している場合、その学校の仕組みを最大限利用できるタイプだとも思います。

独学が上手い人

実際、人に教わるのは最低限に、残りは自分で何とかするって人も普通にいます。最近ではオンラインで受ける事ができるビデオ型の授業も増えてきましたし、学ぼうと思えば一人でも学べる。ただし、当然教えてくれる人に質問したり、そういう事は出来ないけど、わからない部分も自分で調べた方がより正確な情報に辿り着けるという人も中にはいます。

二宮金次郎みたいな人

歩きながら勉強した方が捗る。と、机を必要としない人もいます。

トイレ好き

トイレの中じゃないと単語が頭に入らないという、誰かと一緒に住んでたとしたら、ちょっと迷惑な人もいました。

人に教える事で自分も伸びる人

言われてみれば確かにって思ったので、追記〜!

つまり、学び方すらも誰かに矯正/強制されていないかという話

なんでこういう事を書いたかと言えば、自分が今学んでいる事、学び方に対しての相談がすごく多く、その度に「うーん」と思ってしまうからです。

そりゃ自分の事や、周りの事は事例として伝えます。この人にはこういう勉強法が合ってるのかもしれないなと思ったら伝えます。しかし、同時に伝えてるつもりですが『人によって学び方はそれぞれ』って事は、これ絶対だと思うわけです。

例えば僕は英語の聞き流しCDみたいな教材は超否定派でした。んな会話もせず、聞き取る努力も無く、ただ聞き流すだけで英語耳になるとか書いてあるだけで蕁麻疹が出ます(嘘です…)。でも、あれも例えばある程度の英語耳を持っていて、あとは英語を聞く絶対量が増えれば、自然と英語力がつくという人が聞けば、それは画期的な教材となり、人々に知れ渡ります。でも、何のベースも無い人があれでなんとかなるんなら、皆普通に英語耳、皆ネイティブ耳、素晴らしい世の中の誕生なわけですが、そうは問屋が卸さないわけですよね。

だから、何度でも書くんですが『人による』わけです。で「じゃぁ自分にあった勉強法ってどれよ、学び方って、場所って、環境って、人ってどこにあるのよ?」これってたぶん、テストで100点取る前に見つけるべき、そして知るべき自分の可能性だと僕は思うわけですよ。

でも、世の中的に机に向かっていなければそれは勉強じゃない。と思ってる人は確実にいるし、点数に現れなければそれは勉強しなかったってことだと言う人も確実にいるでしょう。

英語なんてまさにそうで『その道のプロです。』みたいな人が多すぎる。で、その人達が敷居を高くしすぎている。「英語はこうやって学ばないといけない」、「こうならないと恥ずかしい」、「これくらい出来ないと話にならない。」エトセトラ。ぶっちゃけ英語圏の大企業に就職したい人以外は中学英語オンリーでほぼ70%くらいの会話は可能だと僕は思います。

それは別に英語に限った事じゃないんですよね。偉い人、目上の人が若い人の勉強方法を至極限定的な物に仕立てている。で、それに踊らされる人が多すぎる。

「あれを勉強しろ」「これを勉強しろ」「こうやって勉強しろ」「その勉強法は間違っている」「お前はこうなるべき」「これが出来なきゃ人間じゃない」…

で、それがずっと続くと、結局学び方にすらレールを求める人間が出来上がる。それこそ、良い大学へ入り、良い企業へ入り、それこそが唯一無二で絶対の人生のレールだと思っている人たちと同じで、それ以外の道を見ようとも、探そうともしない。自分がどうなりたいのか、どんな人間かは関係なく、そのレールにどう沿えるのかだけが全て。

それにばっちり当てはまる人ももちろんいます。その上で、それが全てなわけが無いじゃんと、僕は思うわけです。

というわけで

基本『勉強出来ない人』っていないと思うわけです。世間一般で言う所の机に向かって勉強する事が学び方の全てだとすれば、僕は今頃路頭に迷ってくたばっています。

じゃなくて、自分だけの学び方を知らないだけだと僕は思うんです。ってことが伝わればいいかなと思った今日この頃でした。

で、一度自分を見つけたのであればたとえどれだけ偉い人が「それは違う。」と言ってきたとしても自分を貫き通す。それが間違いだったか正解だったかは自分しかわからないので、やれるとこまで突っ走る。それは僕にとっては『自分を持つ』という言葉の意味の一つでもあります。

 

そいえば、話は変わるんですが、僕って以前から旅行とか興味無い人間だと思ってたんですね。それこそぶっちゃけ時間の無駄だと思っていました。ナイアガラの滝行っただの、グランドキャニオン行っただの、そんな時間あるならお金になること勉強してた方がマシだとずっと思っていました。

でも、8月と9月は思い切ってとことん旅行して遊んでみました。セスナで周遊して、ラスベガスでカジノしまくって、山行って… で、意外とこれが楽しい事に気づいたんです。もしかしたら、旅行しながら世界中いろんな人に会い、いろいろな話を聞く方が、僕にとっては学びが多いのかもしれないと思い、来年はいろいろな所に行ってみたいと思っています。

28年生きてきても、初めて知る学び方や自分にとっての発見ってあるもんです。他人のこと以上に自分自身の事って本当に心から知ろうとし、実際に体験してみなければわからない物だなと、つくづく思いました。

もしかしたら、無人島行って槍とか振り回してた方が学びが多いのかもわかりません。自分の知っている範囲での学び方なんて、本当にたかが知れてるもんだと思いました。

 

凝り固まって限定された学び方を実践し続けるのもひとつの才能かもしれませんが、広い視野で自分って合った学び方って一体何なのか、常に探し続ける意識を持ってみると、意外と楽しいかもしれません。

それでは、よきお勉強ライフを〜。

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