僕が海外に渡った時は21歳の時、当時はただの高卒でWEB制作を数年やってただけというバックグラウンドから、今やカナダで会社を設立し、一軒家をシェアハウス化し、マネタイズも生活も環境も、もはやこれ以上の状況が思いつかない(…わけじゃないですがw)そのくらい充実した生活を送らせて貰ってるわけです。
そんな僕が運営するこのブログへは、毎日数多くの留学相談が寄せられます。このブログを運営してもうすぐ4年になり、留学相談の数はそろそろ400件を超えそうな勢いです。
その中には「今から就職するんだけど、いつか海外に行きたい、自分はこれから社会人としてどうしたら良いか」という物も決して少なくは無くて、これから社会人になる人にアドバイスを求められる事もめちゃめちゃ多いんですね。
僕は自分が楽しいと思える事に愚直で正直だっただけなので、アドバイスとか求められても正直困ってしまう部分はあるんですが、こんな僕の経緯や考えから何か学べる部分があるなら、とりあえず書くだけ書いてみても面白いかなと思っていた所に、仲良しブロガーのうしぎゅーさんの記事を見て、僕もこんなノリで書かせてもらおうと思い、今日この記事を書く事にしました。
というわけで、今日は僕から新社会人の皆さん(とか)に向けた、僕の勝手なメッセージを書いてみようと思います。主に僕にメールをくれた新社会人の方々に向けた物なので、興味無い方はそのままスルーの方向で見てもらえれば幸いです!
それでは行ってみましょう!
夢を探すな
何よりも伝えたい事はぶっちゃけコレ。以前もどっかの記事で書かせてもらったと思うんですが(忘れちゃった…)、夢とか目標って、探したらどっかでぽっと沸いて出る物じゃ基本的には無いと僕は思います。もちろん中には極々一部の人が偶然にも眼前に自分の夢が転がり込んできてそれに没頭したなんてお話も聞きはしますが、それは超幸運に見舞われたそういう星の元に生まれて来た天才に過ぎないんじゃないかと、僕は思うわけです。
留学に来る人の中に最も多いのが『やりたい事が見つからないからとりあえず自分探しに来た』という人は本当に多いですが、やりたい事が見つからないからとりあえずいろんな本を読んだり、人の話を聞いたり、駄べったり、飲んだり、騒いだりしてても、結局何も見つかりはしません。ぶっちゃけ「夢が見つからない」と口にする時間が最も無駄です。
僕はWEB制作が楽しく、それに没頭してたが故に今があるので、よく「セナさんはどうやって自分の夢を見つけたんですか?」なんて聞かれる事が本当に腐る程あるんですが、別に最初から「自分にはWEB制作しかない!」と思ったわけじゃありません。
高卒バカの記事でも書いたよう、僕はとにかく目の前にある事に一生懸命だっただけです。毎日クソつまんない無機質な印刷機に菊判サイズの紙を毎日毎日積んでただけ。紙と紙がくっついてるので端を持ってクイっとして、パンってして、空気いれて、ガンって給紙口の方に突っ込む。その作業を延々と1年くらいやってただけです。
それが毎日頑張って居たら、DTPもさせて貰えるようになり、営業にも回らされ、それがキッカケで東京に出て、仕事しながらWEB制作を学び、WEB制作会社へ転職でき、過労でぶっ倒れたことが海外へ行くキッカケとなり、カナダへ渡った。
誰が印刷機に紙積んでた僕の夢が「海外でWEB屋に成ること」だと予想出来たでしょう、僕自身そうなるとは思ってもいませんでした。誰が高卒な僕の夢が「海外で社長になる事」だと予想出来たでしょう。
高卒で毎日紙だけ積んでた僕は、ただひたすらに目の前の事を頑張り続けた結果として、今があります。そりゃ紙だけ積んでた時期はつまらなかったし、退屈でしたが、でも仕方がないじゃないですか、当時の僕に出来るのはそれだけだったんだから。
だから僕は今まで自分の夢を探した事は一度足りともありません。ただ、目の前にある努力すべき対象に、愚直に頑張り、誰かの役に立てるよう頭ひねりつつ頑張り続けただけです。そしてそれはこれからもそうです。
ということで、僕から「どうやって夢を見つけたら良いか」に対して出来るアドバイスはたった一つ『とにかく目の前の事を頭がわくくらい考えて頑張り続けろ』としか言えません。僕はそれしか知りません。「やってみたらそれがたまたま自分の夢になった」という感覚が一番近いです。居酒屋のバイトを頑張り続けるだけでも、もしかしたらこんな未来が見えてくるかもしれない。でも、これすらも居酒屋でバイトという状況を精一杯頑張った人にだけ見えてくるかもしれない可能性の一つなわけです。
人に恵まれるという事は努力の結果であって運じゃない
僕は周りの人に恵まれて来た自覚があります。これまた良く言われるのが『セナさんは周りの人に恵まれてますよね』と良く言われます。実際カナダで英語がからっきしだった僕がやっていけたのも、例えばバンクーバーな僕らに出てるQ君のおかげです。彼は良い例かと思います。
つい最近だって、会社の設立を手伝ってくれた方々、先日子供が生まれたカナダで僕を雇ってくれた元上司、今でも僕に仕事をくれるT社長。まぁ、身内ネタなので詳しくは伏せますが、そういう僕の周りには僕をここまで引っ張り上げてくれた多くの恩人達がいます。
じゃぁ、他人に恵まれるということが完全に“運”という要素だけなのか、僕はそうは思いません。
ちょっと冷たい言い方になりますが、世の中家族や親戚、または無二の親友でも無い限り、基本的にはメリット・デメリットで人間関係は成り立ちます。基本的な友人関係であろうが、その人と一緒にいると『楽しい』『落ち着く』『ワクワクする』等のメリットがある人の周りには当然友人が沢山出来ます。至極単純な図式ですね。
そして、このメリットを提示する事において、無意識の内にやっている人は確かに存在します。ですが、僕を含め、無意識の内にそんな芸当が出来るほど僕は人が良いわけでも無ければ、善人なつもりもありません。僕をよく知る人に僕の事を聞けば『セナは冷たい』と良く言われますし、僕が主催する物以外で、4人以上の飲み会やイベントには進んで参加する事は僕はありません、なぜ他人が主役の飲み会に自分が脇役として出なあかんねん。って思います(笑)
しかし、どんなに自分自身が腐っていようが、自分自身に温かみや優しさに欠けていようが、自分と付き合う上でのメリットさえ提示できれば有益な人間関係を築くことは容易いです。
例えばQ君であれば、彼は先日バンクーバーな僕らのQとして本を出版しましたが、アレも僕がブログブランディングの面での協力が無ければありえなかった事ですし、彼のブランディングは今も基本全て僕が担当しています。
Q君にはイラストレーションと高い言語能力、僕にはブログを使ったパーソナルブランディング力とウェブ制作力、結局は良い人間関係の裏には、れっきとしたメリット・デメリットの関係があります。実際、僕は彼の事を友人だと思ったことはありません。それは本人にも伝えています。
人に恵まれる生活を送る上で大事なのは、上辺だけの友人ごっこでも無ければ、仲良しこよしトークでもありません。自分に何が出来るのかを提示し続ける努力の面が、僕は大きいと感じています。
友人になるのは爺になってからでも遅くは無い、でもメリットを提示出来るのは若いうちの行動や努力がどうしても大きい。
人間関係に恵まれない事を運や他人のせいにするのはまったくもっておかしな事であって、良好な人間関係とは、基本どんな姿形の物であろうが、あくまでも自分のメリットを提示し続けようとした努力の結果であって、運じゃないことを、僕は覚えておいて欲しいかなと思います。
…まぁ、でも、メリットを提示する必要がなくなった時、それこそリタイアした時なんかに、改めてQとは友達になれればソレでいいかなと思います。
人としての優しさは全世界で通用する無敵の武器
上のメリット・デメリットの話とはちょっと矛盾すると思うんですが、これも出来れば伝えたいと思ったので書きます。
目の前の人が何かを落として、拾って返してあげる。目の前の人が迷っていそうであれば、声をかけて一緒に探してあげる。こんな何でも無い行為を優しさと呼ぶんだと思いますが、これは一つのれっきとした武器です。それもグローバル社会で通用する今世紀最大の武器だと思っても過言じゃないと思います。
しかし、優しさだって意識し続けなければ衰える物です。逆に意識し続ければ磨き上げる事が出来る物です。
一度僕は他人の優しさに触れて、その人と長く仕事することを決意したことがありました。彼は不動産投資の会社で働くやり手の営業マン、その時は今住んでいるシェアハウスを見せてもらう為に物件を見に車で移動しており、僕はその人の車の助手席に乗っていたのですが、やむを得ない状況で急ブレーキを踏むことになった時、運転手の彼は助手席に座る僕の前に手をかざし、僕が前のめりにならないよう配慮してくれたのです。
この時は単純に「紳士だわ〜、俺が女なら惚れとるわ〜」とか思っただけですが、そんな相手の事を思いやる仕草や動作、行動は、人種の壁を乗り越えて人の心を揺さぶる事があります。
一朝一夕で手に入る物では決してありません。しかし『他人に優しく出来る/思いやることが出来る』ということは、皆さんが思っている以上に重要で、重大で、全人類が努力次第で平等に得る事が出来る最も公平な武器だと僕は思っています。
社会人になるまで、限られたコミュニティーの中でしか活動してこなかった人は特に、このことを頭に叩き込み、出来る限り人に優しくするようにしておきましょう。当たり前の事ですが、意識し続けると結構大変です。しかし、優しく出来なかった自分を自己嫌悪することが出来るくらいにまでなれれば、その優しさが新しい自分の可能性を開くのは、意外とすぐなのかもしれません。
逆にネットでいつまでも誰かの陰口を叩いてるようでは、そんな可能性は100年経っても見えては来ません。
自分がどうなりたいのかを忘れちゃならない
これは別に、自分の夢を忘れるなと言いたいわけではありません。もっと根本の部分で自分は何をしたいのか。それは例えば『楽をしたい』『偉くなりたい』『かっこ良くなりたい』『幸せになりたい』『わくわくしたい』。そういう何とも言えない若干抽象的な意味での何をしたいのかという事です。他人や世の中は大層な目標を掲げろと正直うるさい人が多いです。やれ公務員になれだの、やれ大企業に入れだの、やれ偉くなれだの、やれ大学に入れだの。
僕は先ほどのどうなりたいのか、何をしたいのかのベースになるのは間違いなく『楽をしたい』です。そのためには他人が10時間掛かることを1時間でこなし、9時間暇にして楽をしたり、他人が時給1000円くらいでやる事を10000円くらいにして9000円分楽をするとか、そういう努力が必要になります。
努力とか頑張るという言葉の意味、それは僕にとって決して毎晩遅くまで起きてるとか、とりあえず沢山残業するとか、とりあえず沢山勉強するとか、とりあえず体力あるかぎり戦い抜く(?)とか、そういうところには微塵もありません。自分がどうなりたいかという根本的な部分に向かって、どう行動するのか、その結果として理想に近づけたのであればそれは努力であり、頑張りだと思います。
しかし、努力しているつもりで何一つ結果に残らなかったのであればそれは厳しいようですが他人から見ても自分から見ても努力ではなかったということになります。
いくらお金を儲けた所で、自分が『幸せになりたい』という自分のなりたい目標がある以上、そのお金を儲けるという行為自体に価値はありません。当たり前ですがお金があっても不幸だと思って死んでいく人は腐る程いると思います。じゃぁその場合は、自分が幸せに成るために何が必要なのかを愚直に考え、努力し続けるしか無いわけです。
僕の知り合いに『日本で子供を育て、専業主婦になりたいから、北米の一流IT専門学校を出て、今後SEとして在宅勤務で海外から仕事を日本で受注しつつ、子育てに専念する』という計画を立てている人がいます。最近流行りの『ハウスワイフ2.0』って奴ですね。専業主婦とは違うやんwって思わなくも無いですが、それは置いておきましょう。
その人にとっての自分のやりたい事は『日本で幸せな家庭を築く』という事なんでしょう。しかし、そのためにするべき努力として、わざわざ国外の大学を出て、専門課程を終了し、しかも新卒採用枠の無いこっちの大学で学ぶ事によって無理やりにでも自分自身を即戦力化するという決断は、並大抵の決意では無かったと思いますが、確実に『日本で幸せな家庭を築く』という目標に向かって努力しているのは間違い無いと思います。
これは新社会人に向けてという部分とは離れるかもしれませんが、そもそも自分が何をしたいのか。誰も『公務員になる』という事が、人生全体を通してやりたい事だと言う人はあまりいないと思います。公務員になる人は例えば『一生安泰』という自分がなりたい未来の為に頑張っているのかもしれませんが、その時は『一生安泰』と『公務員になる』というのがキチンとリンクしているのかをとことん調べなければなりません。残念なのは“とりあえず世の中がそんな感じだから、そうなろー”みたいな、自分を持たず自分のやりたい事、なりたい物を決めてしまっている事。これは結局、そうなれなかった時の恨みが自分に向けられる事無く、世の中へ向かう等の、他人あっての自分と成り下がってしまうわけです。自分が無いとは、僕はこういう事なんだと思っています。
失敗した時、自分の理想になれなかったとき、自分の行動を見直し、次に自分の理想へ近づくためにはどうすれば良いのか。それを考える事が出来る人はやはり強いです。しかし、そのためには当たり前ですが『自分がどうなりたいか』というベースにある物をちゃんと理解していなければなりません。
僕はとりあえず、楽がしたいです。何があっても大変な事は嫌いです。じゃぁ、楽になるための努力をし続けるしか無いよね。って簡単な図式だと思います。
世の中に惑わされず、自分で考えよう
個人的には当たり前な話なんですが、現代を生き抜くのはぶっちゃけ簡単でシンプルです。
高学歴なだけの人より他人の10倍の生産性がある人の方が魅力的だし、椅子に座ってデカイ態度取ってるだけのオジサンより4ヶ国語くらい話せる10代の方が魅力的です。英語だけ出来ますという帰国子女よりWEBサービス100個作って来ましたという人の方が個人的には好きだし、人のダメな所しか見ない人より自分のダメな所を改善出来る人の方が何倍も素敵です。
更に、楽な人生を送る人は楽な人生を送る為に必要な事をしています。金持ちは金持ちなりに自分が理想とする自分に向かって頑張る必要があります。貧乏は貧乏なりに幸せになる方法を考えているし、高卒は高卒なりに生き抜くすべを考え続けます。
世の中は20代の内に努力しろと言いますが、誰がその努力の形が徹夜や残業しかないと決めつけたのでしょう、それはタダの固定概念です。20代の内に楽するための方法を探さなかっただけです。
世の中は新卒採用で全てが決まるみたいに言うけれども、高卒で新卒採用の『し』の字も知らない僕は海外で社長になり一軒家を構え、多くの選択肢を持って生きています。
日本が不景気だとしても、残念ながら僕にはあまり関係ありません。カナダで仕事すれば良いだけです。カナダが不景気になっても、僕にはさほど影響はありません、日本で仕事をすれば良いから。んで両方不景気になったらどっか別の国に行ってもいいですね。
んな感じで、世の中が『不景気だ!』と言っても、それを屁とも思わない為に行動している人は、不景気なんて屁とも思っていません。日本でだって、不景気になればなるほど儲かる仕事やビジネスなんか、探せば普通にありますよね。
世の中とは所詮他人の言う事です。自分は自分の考えがあって当然だし、自分には自分の努力があって当然だし、自分には自分の進むべき方向性があって当然な訳で、世の中なんか関係ありません。
世の中が例え『大学は行った方が良いよ』と言ってもそれは所詮他人の言う事、自分が感じた事ではありません。だから僕は大学には行きませんでした。
世の中がとりあえず『20代の内はガムシャラにサラリーマンした方が良いよ』と言っても、それも所詮他人の言う事です。自分で決めた事ではありません。だから僕はサラリーマンを25歳の時に止めました。
要するに、自分を持てということ。世の中という他人を言い訳にした瞬間、残念ながら世の中が不幸になれば自分の不幸になるという悪循環が生まれます。そうなりたく無いのであれば、結局は個人である自分自身が考え、努力し、そうならないため頭をひねり続けるしか無いわけです。
僕で言えば、誰も高卒で低職歴な状態から海外で楽しく生活できるなんて、想像だにしていませんでしたが、僕は出来ると信じていたので今があります。世の中が僕の事をどう思おうが関係ないわけです。自分で考えた結果として、そうなれると信じ考え努力した結果なだけで、別に特別な事をして来たつもりも無いわけです。
以上、いかがでしたでしょうか?
最後に、普通に考えれば分かる事なんですが、努力が報われなかったと本当の意味で言えるのは死ぬときだけです。
例えば僕であれば高卒だけど海外楽して暮らしたいという目標に対し、1年努力してなれなかったら更に2年努力してみれば良い。3年でダメなら、4年努力してみれば良い。仮に60年努力しても結果にならなければ、それはさすがに努力は報われなかったと言えるのかもしれませんが、もはやその時はそろそろ寿命なので、んなこと言ってる場合でも無いわけです(笑)
しかし、大半の人が言う『努力は報われない』というのは『途中で諦めた』の言い換えに過ぎません。例えば高校時代から大学卒業までの7年間『楽して稼ぐためにはどうすれば良いか』と考え、努力し続けていれば、それは叶わないはずは無いと僕は思いますし、仮に7年で無理なら10年でも15年でも考え、探し続ければ良い。そうやって考え続けた上での努力は報われないはずは無いと僕は思っています。
僕の場合は高卒から、海外で最高に楽しく生きるまでに少なくとも4,5年は努力の期間がありました。その期間は常に自分の頭の中で、高卒である自分が必要とされる為には何が必要だろう、どうすれば皆が必要としてくれるだろう、どうすれば楽になるだろう、どうすれば時給が上がるだろう、どうすれば人より多くの仕事がこなせるだろう、どうすれば今の10倍稼げるだろう、どうすればもっと、どうすればもっと。そんなことばかりを考えてきました。
高卒で職歴も無い、頑張ったけど努力は報われず、将来お先真っ暗なんて話は良く聞きますが、たかが「1,2年頑張って見た程度で、もう結論出すのか早いなオイっ(笑)」と僕は思ってしまいます。そこは日本人にやはり多いですよね、24〜5歳くらいでもう「自分もいい年なんで…」とか。オイなめとんのかとw
自分の頭で考え抜いた努力を数年続けただけで大きく好転することなんてざらにあります。他人に自分の進路を任せっきりなら、常に世の中や他人ありきの自分の人生設計になってしまうんじゃないですかね。それを良しとするかどうかはもはや皆さんの自由だと思いますが、僕は嫌です。
かなり長文になってしまいましたが、今日はこの辺で。うしぎゅーさんの記事とも一部少し被ってしまいましたが、出来る限り僕なりの言葉で書いたつもりなので、許して下さい(笑)あと『新社会人に向けて』とかかいてたんですが、なんか途中から誰に向かって書いてるかわからなくなったので、『新社会人(とか)』に変えさせてもらいました(笑)
それでは皆様、良い社会人生活を〜!