さて皆様お久しぶりです。前回の記事から2年も経ってしまいましたが、先日うちの会社にてVercelのエンジニアさんに遊びに来てもらうイベントをやった際ブログを再開すると公言したり、最近実は近しい人がブログ毎日更新してるのを目の当たりにしたり、あと最近読んだなんかの本で書いてあった「企業のトップは自分の日々の考えを伝える努力が必要だ」とかなんだとかって話に影響され、とりあえず鉛のように思い腰を持ち上げて執筆作業を再開させて頂く流れとなりましたセナです。
2年もブランクがあると何から書き出してよいのかわからないのが正直な所で、とりあえずタイトルにもある通り僕がカナダでFrogという会社を作って今年で丁度10年、円を稼がなくなって16年、最高の妻に出会って10年を振り返り、何かシェア出来ることがあればという思いで、とにかく暴力的に『書き殴る』ということに注力したいと思います。全部思いつきで書き出すので、キレイでまとまった文章を期待している皆様にはガッカリさせることかと思いますが許してください。
とりあえずこの2年間何をしていたかと言えば基本はゲームが中心の生活。僕にとっては、酒やタバコと同様の適度な依存先であり、Steam上に存在する300本近いタイトルのほぼ全てを廃人寸前までプレイしたという自負があります(ドヤァ)。あとはずっと本読んでました。
とはいえ一方のビジネスの方は非常に好調で、創業して10年経過した今となっては正直何やっても大体のことは上手くいく状態が続いており、2022年のコロナ年以外でみれば売上もほぼ下がったことが無く、そしてこれは恐らく日本の企業のお金の向きが国外を向いている間はたぶん続くので、会社経営という側面においての不安は多少の浮き沈みはあっても、ほぼ思い描いた計画どおりというのが現状となります。計画どおり(ドヤァ。
一応何をしている会社なのかを説明しておくと、僕の運営するFrogはエンジニアやデザイナーが北米進出する際に必要な全てをやる会社です。企業紹介、ビザコンサルとサポート、ネットワーキング、起業、バックオフィス業務全般などを、過去500名近いメンバーの事例とデータを元に、一人の技術者が北米に足を運び、必要となるほぼ全てに目を向けてサポートすることをメインの業務としています。2023年には米国スタートアップへの出資も行い、その課程とネットワークからアメリカやアジアを中心とした企業にDevShop的な人材支援も行っています。また、把握している限りだと北米で最大規模の日系Techコミュニティを運営している企業でもあります。
最近はイベント毎もやれば大変盛況で、昨年末はまあまあ高い有料イベントにも関わらず170名の方に東京へ集まって頂き、今年はカナダで北米西海岸のTechシーンで活躍する方々を招待させて頂き約100名ほどの方にご参加いただけそうという、いつ声を上げても、いつやりたいことをやっても、期待以上の結果が返ってくる状態がここ数年ずっと続いているような状態で、とにかくいつも支えてくれる方々には頭の上がらない日々を送っています。
冒頭でもお伝えした通り、今日は暴力的に書き殴る回ですので、とりあえずこの10年を振り返って僕が取り組んできた事と経過報告、あとその背景について、適当に語って行こうと思います。
普段は大体本を読んでる、皆本を読め
とりあえず海外で10年継続する企業やコミュニティを運営出来るコツは?秘訣は?的なことだったり、海外で悠々自適に生きるコツはみたいな話を問われることが多い昨今ですが『とりあえず本読め』で終わりです。
僕がやってきたことなんて適当におすすめされた本読んで実行の繰り返しです。
僕は自分が何かしらの意思決定を下す時、頭の中で引っ張り出してくる参考書がいくつかあります。お金に関する頭は今も昔もロバートキヨサキだし、課題解決力は昔から佐藤可士和が多いかなぁと思うし、幸福論はアランだし、経営指針は武田所長、ビジネス指針は藤田田。倫理観や道徳心はモラルコンパスと魔法の糸の様々な童話で構成されているような気がするし、起業家精神は本田宗一郎が原点だと思うし、最近だと日本経済の見通しはもっぱら門間 一夫さんだし、未来予想はヘイミシュ・マクレイ。それぞれが僕の頭の中の円卓で、勝手にそれぞれの分野において議論してくれるので、僕自身が考える必要が殆どない。これが僕が本を読んだ末に目指している状態。そしてこの円卓に座る人々は定期的に選手交代を必要とする。あと、本ではないですがAlchemist Acceleratorに日本人で初めて卒業された方がやってるニュースレターは、新規で顧客獲得を必要とする事業を行う際に、僕の頭の中の円卓にちょくちょく顔を出してくれる存在でありがたいですね。
※今見たら自分12年前にいい記事書いてるじゃないか、懐かしい
僕にとってこれらの『本を読まない』という行為は、彼らよりも優れた知恵と知識を持っている時のみに成立する愚行であり、恐らく今後人生を送るにおいて絶対に訪れる事が無い。本は僕にとっては法で許された盛大な人生のカンニングペーパーであり、そこには人類史におけるありとあらゆる問題に対する解が込められている。たかが数十年しかないであろう、自分の経験の方が書籍に勝るとは僕には思えないからです。
なぜわざわざこの話をしているかといえば、人は思った以上に本を読んでいないと最近感じるからですね。つまり本を読むだけで既に秀でた人間にはなれたも同然という、割と簡単な現実を認識すらしていない人があまりに多いと思っています。
「幸せになりたい」と願ってはいるが、世界三大幸福論のアランもヒルティも、ラッセルも読んだことがなく「幸せになるぞー」とか、僕にとっては足し算しか知らない小学生が、突然微分積分を誰にも教わらず発見するレベルの無理ゲーにしか思えません。結果あまりにも膨大で、途方もない時間を本当に考えなければならない問題とは別に使ってしまう。いつか成功したいと願う彼ら彼女らの中には当然ガネーシャもバビロンもいないし、7つの習慣も存在してはいないのだから、読んでいる人間の何倍もの時間が掛かっている可能性もあるだろうし、セネカに出会っていなかった僕の人生は、今の何倍も短かった可能性がある。
もちろんヘイミシュ・マクレイは中国の不動産不況を予見していたわけではなかったし、スモールビジネスの教科書にテックコミュニティの構築方法が書いていたわけでもなく、アランがSNSを通した幸せとの向き合い方を教えてくれるわけでもないので自分で考える事は必要なわけですが、彼ら彼女らのおかげでそこには書かれていない本当に考えなければいけないことに集中することが出来るわけですね。
なので、皆がたまに僕に相談してくれる仕事を含む様々なステージで一体何を難しく考えているのか僕にはわからないわけで、本を読み実行さえすれば既に世の中にいる大多数の読まない人よりも秀でた問題解決にた取り付けるという、あまりにも簡単なゲームが僕にとっての人生であり、別に高卒で10年続く企業を海外に持つ事だって出来たし、年間100本近いゲームに時間を使う事だって出来るし、素晴らしい妻や家族と共に異国の地で幸せに生きる事だって出来てしまうわけですね。読書は僕にとって色々な面で恩人です。
というわけで、高卒片手に20万だけ持ってカナダへ渡った僕は、適当に本読んで適当に実行に移してたら適当に上手いこといったんだよって話がしたかったわけです。来年は150本のゲームがしたいですね。(ドヤァ
ビジネスなんて簡単だった
結局改めて「本読め」で終わりたい所ではあるんですが、僕にとってのビジネスの根幹なんて今も昔もそこまで大きく変わっているわけではなく、困っている人を見つけてその人にとって必要となるものを用意出来れば勝ち。という基本的にはシンプルなゲームなわけです。別にド派手なテクノロジーや、多額の投資がなければいけないルールがあるわけでもなく、どれだけ多くの人、物、時間に貢献が出来ているのか、それによって影響を受けた人がどれだけ居るのかで、ビジネスは語られるべきというのが僕の考えです。
なので、僕がやってきた事なんてあまりに簡単で、とりあえず愚直にエンジニアやデザイナー数百人、数千人と話を聞き、彼らに何が必要か、何に困っているのかを問い続けて、それらに対し必要な準備と必要なことをやってきただけ、あまりに簡単なビジネスを10年続けてきたに過ぎません。
たまたまそこに競合がおらず、たまたまそこに上でお話した日本企業のお金の向き(内部留保の内約だったり)や、たまたまカナダという国が世界一の経済大国アメリカが隣というある種不運な環境が原因で常に人材不足を抱えており、たまたまアメリカ企業の多くも人件費やビザ問題などからカナダにブランチを開いており、それらたまたまの立地的優位性も味方し、たまたまアメリカが強国で有り続ける以上は持続可能なビジネスに転化出来たというだけの話であります。
そして僕がやりたかった事はどちらかと言えば地域と共に成長し、顧客一人ひとりの顔が見えるビジネスだったこともあって、僕自身はスモールビジネス、スロー成長という立場が非常にしっくりきたわけですが、そんな僕にとってビジネスを軌道に乗せるなんてやっぱり簡単で
- 顧客セグメントがはっきりしており、顧客セグメントが所属するコミュニティが形成出来ている
- 基本的には365日、いついかなる時でも彼らのニーズに触れる事ができる状態にあり、ニーズの変化が肌身で感じられる
- 自分が彼らの立場にたって物事を考えられる状況であり、その確固たる根拠が存在する
これらの条件が揃った時、僕の中では既にそのビジネスの成功はほぼ9割型成功されており、僕の実体験としてはあまりにも簡単だったという話に繋がる事になります。
といっても、こんなのスモールビジネスの教科書に載ってなかったのはせいぜいコミュニティ形成の方法くらいなもんで、バーニングニーズの話もこの本に載ってたし、更に今はニュースレターで有名アクセラレーター直伝の深い知見に触れることが出来る時代なのだから、なおさら再現性は高いんだろうなーと思う次第であります。
ビジネス自体よりも、大事だったのは使命感とモチベーション
さて、あくまで僕がやりたかったスモールビジネスにとってですが、ビジネス自体はそんなこんな単純明快で、試行回数は多いにしても、やること自体は実はそんなに多くなかったと思うんです。それよりも何十倍も大事だったのは結局それを何年、何十年、下手すりゃ死ぬまでやり続けられるその使命感とモチベーション、そして自分の中で確固たる根拠を持つことだったと思うわけです。
今日は僕の10年を支えた思い込みにも等しいモチベーションと、こじつけも混じった根拠について書いてみたいと思います。しゃちょーなんて結局、この思い込みとこじつけで、どれだけ自分と周りを納得させて爆走出来るかという部分は大なり小なり必要だと僕は考えているので、次から僕が自分のビジネスに陶酔するに至った理由を書き記していきたいと思います。
今のままだと日本企業がグローバルで戦うのは相当厳しい
インド人は多くのBigTechのCEOに君臨し、もはやH1B(アメリカの就労ビザ)はインド人専用ビザかと勘違いする程インド一強。中国からは評価額18兆円という想像出来ないレベルのユニコーン企業が爆誕。スウェーデンからはKlarnaが、オーストラリアからはCanvaが創出され、カナダだとShopifyなどがあり、各国がグローバルで戦う企業を多く排出していますね。
対して日本はなかなか厳しい状況に見えます。僕が胸をワクドキさせて見守ってたのはメルカリとSmartNewsでした。当たり前ですね。
「日本を代表するメガベンチャーの二大巨頭。資金、知名度、技術力、ポテンシャル、人材、あらゆる意味で日本のTech産業の叡智の一つがアメリカに挑戦する。日本のテック企業の見られ方が大きく変わるチャンスかもしれない」
といった感じで、しかしどうやらアメリカ市場では相当厳しい状況が続いているようです。
僕は仕事柄、北米圏にあるエンジニアの人材紹介先を常に探しているということもあり、メルカリの動向やGlassdoorのレビュー欄などは何年も前からほぼ毎月チェックしていました。が、割と初期の頃からメルカリSFは評価1.5とかその辺をウロウロしており、ぶっちゃけ働く側からもそんな好かれてないんだろうなー的なことが見え隠れしていました。そして、その悪レビューの多くが『経営層、マネージメント層に対する苦言』だったように記憶しています。
メルカリの悪評レビューを見ながら、僕は経営方針という意味でユニクロと比較する事が非常に多いです。ユニクロは海外進出当初、今のメルカリの山田さんと恐らく同じ考えで『海外でやるからには頭脳もローカルにしなければならない』と考えたんだと思うんです。
結果、ユニクロは2001年に初進出したイギリスでは21店舗中、16店舗が閉鎖に追い込まれます。原因は現地の人材に経営を任せるという方法で失敗したからだとされており、ユニクロが本来持っていた風通しの良い社風、アメリカにも引けを取らないチャレンジングな姿勢は消え去り、ローカルの老舗百貨店の肌に合わないルールが適応されてしまった。これらは全てググれば出てくるような情報です。
しかしここからの快進撃がすごかった。ユニクロは即方針を改め、トップをローカルに染めるのではなくあくまでユニクロの良い部分を持ち込むことの出来る『現地とユニクロの双方をよく分かっている日本人』にマネジメントを任せる事で大きく躍進し、今ではアパレル業界の世界売上ランキングでも常に上位に居座る世界屈指のアパレルメーカーへと成り上がったわけです。もちろん、ここまでグローバルで結果が出るレベルになると、外国人だのなんだのという差はそこまで顕著ではないように多少は見えますし、彼らの快進撃はJapan as No1の時代以降きっての快挙だと思います。
※ここでは『日本人』を、日本に長年住み日本文化に対する多くのコンテキストを共有している人物と認識して会話します
とりあえず、ここでは『人材を外国人にしたから海外で成功するわけではない』という、まあ良く考えれると当たり前の事例なのではないかと思いながら、個人的には見ている所です。
あと、そもそもですが、日本みたいにクッソガラパゴスでピッキーで製品の質にも値段にもうるさくてすぐクレーム入れるのが当たり前の国で通用したプロダクトが、世界で完全に通用しないという話自体に僕は無理があると思うんですよね。日本で通用するプロダクトは、その性質やクオリティ、対応力、技術力では既に世界水準にあると考えており、それはメルカリやSmartNewsも同様です。もちろんUX的アップデートが各国毎に必要だとしても、プロダクトまたはその開発力自体に世界の競合に負ける理由があるとは僕には思えません。
大事なのはメルカリやSmartNewsがどのように日本で必要とされてきて、それがアメリカや他国ではどのように受け入れられるのか、日本とグローバルの双方のバランスの良い見え方の方だと思うのです。
最初からグローバルを狙っていればグローバルで成功するのか?
次にメルカリの北米圏での現状を経て、ネット上では各コンサル界隈では『あくまで日本発のサービスであり、最初からグローバルを狙っていなかったからこうなった』といった議論が散見されるようです。あと、どこの番組だったか忘れましたが、以前Youtubeの番組で本田圭佑氏が「グローバルに戦うのであれば、チームが日本人だけなのはおかしい」という小話も耳にしましたが、これも個人的には16年の北米における会社経営の経験から、違うんじゃないかなー側の意見を掲げたいと思っています。
ただし、この話をするためにはまずバンクーバーという地域がどんな地域なのか説明する必要がありそうです。
外国人に優しい国バンクーバー
バンクーバーに限らずですが、カナダという国は移民国家です。建国150年程度しか歴史のない新しい国でして、世界2位の国土を持つにも関わらず人口の80%がアメリカとの国境沿いに住んでおり、非常にアメリカへの依存度が高い国です。アメリカが強ければカナダも強いし、為替変動率もアメリカドルとカナダドルは同じように推移します。
おまけに世界一の経済大国のアメリカ様がお隣ですので、常に人材不足です。ちょっとカナダで成功したら皆すぐにアメリカに渡ります。かのイーロン・マスク氏ですら、南アフリカから最初に移住した先はアメリカではありません、まずカナダです。
そんなカナダはアメリカにはない魅力もいくつかあります。銃社会じゃなく無料の国民健康保険があり、上で紹介したヘイミシュ・マクレイ氏の本では
アメリカをもっと穏やかにして、親切にして、極端なところを少なくしたような国だ。
と称されています。
そんな外国人が住みやすく移民だらけのバンクーバーで、僕がバンクーバーへの長期移住を決意するきっかけとなる事件が起こりました。
時は反移民運動が世界中で沸き起こっていた2017年、世はドナルド・トランプが大統領の時代で、アメリカ人ファースト、アメリカ人の国アメリカ。外国人は出ていけ、移民は受け入れるな、こうした流れのど真ん中にあった時代でした。
バンクーバーも例外では無く、2017年に白人至上主義者たちによる反移民デモが勃発。「人口の半分以上が非白人であるバンクーバーでこんなことが起こるなんて…、もう世界に移民に優しい街は存在しないのではないか。」そう思った程です。
ですが、結果は僕ら移民にとって嬉しい結果でした。当時のバンクーバー市長は『バンクーバーはヘイト・レイシズム・差別を一切容認しない』と発言し、更には反移民活動家が30人にも満たなかった一方、カウンターデモに4000人が集まる結果となりました。街が総出で移民を受け入れてくれた瞬間でした。当時の状況はこちらの記事が詳しく書いてあるので、そちらを参照してもらえればと思います。
僕はバンクーバーのように移民に対し寛容的で、文化的尊重性があり、銃社会でなく、規律があり、若い国で国土が広く、何より僕ら外国人に対して偏見の少ないこの街で頑張って行こうと心に決めたわけです。
それでも存在するメンタルバリア
当時のカウンターデモの高揚から少し時は進み、僕が日本人エンジニアの人材紹介を本格軌道させたタイミングでした。現地企業に対し『日本から優秀なエンジニアが沢山来る!君たちは一緒に働きたいと思うはずだ!』と、当時既にFrogは世界で最も大きい日本人のTechコミュニティに君臨していたこともあり、心踊らせながら自信満々にまずは情報収集にと「VanHack」という世界中のTechタレントをカナダ、アメリカ、EUに人材を紹介する企業のセミナーに参加しました。(正確にはスタッフに参加してきてもらったのですが)しかし、その時CEOからの話に僕は耳を疑いました。
「ローカル企業が外国人を雇うのを躊躇う理由として、メンタルバリアは確実に存在する」
つまりは、外国人よりもローカル人材の方が優秀であるという思い込みは、これだけ移民に優しかったはずのバンクーバーであったとしても存在するという事実でした。
実際、当時のFrogメンバー(日本からくるエンジニア達)の現地企業への売り込みは割と散々な結果で、今考えると僕の試みは浅はかでした。優秀かどうかもわからない外国人(日本人)に、わざわざ費用的時間的コストを掛けて雇う必要性を感じないと、インドや中国人を多く雇うTech企業にすら見限られる日々、日本人の優秀さに盲目的になっていた僕の目論見は完全に失敗に終わったわけです。
その後、紆余曲折ありとりあえずFrogは方針転換し続け、今では何百人というFrogメンバーがカナダ、アメリカのTech企業で働いており、引き続き北米最大の日本人Techコミュニティとして存在し続けられているのですが、ここでの方針転換の話は長くなるのでまた別の機会でやりたいと思います。
とりあえず、ビジネスに人種(またはそれに近しいコミュニティやディアスポラ)は関係ない。と言う人は僕から見ると『本当に人種の壁を超える程の革新的技術や能力で人を魅了することが出来る天才集団』だけだと思います。そもそも人種やコミュニティがビジネスにおいて重要でないのであれば、ユダヤの商法みたいな本がバカ売れする現実もおかしな話だと思うし、この壁をちゃんと意識しないと、外国人と一緒に働く事は出来ても、同じコンテキストの元で世界で通用するプロダクトを生み出す事は難しいのではないかというのが僕の考えです。
最も優れたUXは慣れであるのと同様。慣れ親しんだ人種、良く知る人種、良く一緒に働く人種、良く一緒に飯を食う人種の方があらゆる面で強く、日本人のように海外に出る母数がそもそも少ない人種とは、何が出来るのかも、どんな人達なのかも、ある種の人種的認知度がまだまだ低い。国外に打って出た所で、情報が伝わるのも、参加出来るネットワークの数も、会社のステージ毎に必要な人物にたどり着く速度もクオリティも、何もかもが『日本から来た』ということ自体でハンデへと書き換わる。それがJapan as No.1の時代以降、ディアスポラの無い日本の背負ったグローバル化の最大の壁になっていると思うわけです。
ディアスポラがないという最大のハンデ
社会学の観点からみても『グローバル化に必要なのはディアスポラである』というのはかなり昔から言われている事ですが「日本からグローバル企業を!」と言う人達の中で、このことを真面目に考えている人は恐らく殆どいません。ディアスポラが存在しないならしないなりの戦略という意味でも、恐らく殆どの人は考えていないと思います。
この点、ディアスポラが国際的なビジネス交流において、どのように機能してきたのかなどはロビン・コーエン氏の本が非常に面白かったので、興味のある方は見てみてください。
優れたプロダクトを作れば勝手にグローバル化すると思っている人が、正直Japan as No1を経験したことのある日本の場合特に多いように思うのですが、それが本当ならJapan as No1の時代以降日本は優れたプロダクトを日本人は全く作り出せていないという話になると思いますが、んなわけあるかと言いたくもなります。
僕の解として、日本人や日本企業のグローバル展開を容易にするのは、プロダクトの質ではありません。外国人の沢山いるチームを作る事でもありません。世界各国に点在するディアスポラの増加、それが解答の一つだと僕は考えています。グローバル化とは、多くのケースで世界中で行われる盛大な椅子取り合戦なわけです。
ByteDanceの謎
Frogという環境の最大の利点は、世界各国のグローバル企業の内情の多くをFrogメンバーを経由して聞くことが出来る所です。上場一歩手前の北米企業やFAANGなんか当たり前で、アメリカ、中国、EU発の多くのTech企業で働く日本人から見た(あくまで開発者側ではありますが)内情を知り得ることが出来る大変素晴らしい環境だと思います。
その中で特に不思議なのがByteDance。または中国発のTech企業です。かの有名なTiktokを作った企業ですね。この企業はバンクーバーにも支社を出しており、Frogメンバーの一人にこの会社の最終面接まで行った人がいましたが辞退することとなりました。理由は中で働く殆どが中国人だったからです。(同様に、北米のライフワークバランスなんてクソ喰らえといわんばかりの激務)
ここで本田圭佑氏の『グローバルで戦うためにはチームもグローバル化しなければならない』という発言に対し、疑問に思った理由が出てきます。「世界一のユニコーン企業にまで上り詰めたByteDanceが発足当初ならまだしも2023年になった今ですらほぼ中国人で構成されているのはなぜ?」という話です。加えて、ByteDanceは最初からグローバルを狙っていたかはさておき、元々は中国本土で抖音という名前でリリースし、最初は中国市場からスタートしています。Zhang YimingのThe Making of the TikTok Founderで出てくる人物名も殆どが中国人です。(それが良い事かどうかは大いに議論の余地はあると思いますが)
これだけみれば『なーんだ、別に自分たちの国からスタートしてグローバル展開した企業もいるじゃん』となりそうなもんですが、中国にあって日本にはなかった物。それが「ハイグイ」です。ハイグイの話は以前僕のグログでも書かせて頂いたのでそちらを見て頂ければと思いますが、要するに世界各国の大学、企業、研究機関で、グローバルで通用する経験や技術を持つ中国人に、多額の金を積んで本国へ帰還させたグローバルエリートの総称です。
中国にはあまりにも多くのグローバルスタンダードで戦ってきた中国人が国策で呼び戻す程居るのに対し、日本は日本から出たことが無い人が殆どだという事実です。日本には、グローバルなチームが足りないのではなく、グローバルな環境がスタンダードとして戦ってきた日本人が圧倒的に少ないのです。
別に白人だから特殊能力を持っているわけでもなければ、日本人だから何かが劣るわけでもありません。むしろ日本人として海外で働いた方々というのは、一緒に働いた人間だからこそわかる優秀さがあります
そろそろ僕が言いたいことも伝える事が出来てきてると思うのですが、別に日本から始めるからグローバルで戦えないわけでも、白人を雇うからアメリカ化するなんてわけもなく、つまりは日本人がグローバルで活躍するのが当たり前となった人種的ブランディングの先に、日本企業のグローバル化があると僕は考えているわけです。
もちろんそうじゃなく、優れたプロダクトを作ったアイコン的日本人が出現し、その方がスタンダードを作る未来も、もちろんあり得ると思います。そうなればそうなったで素晴らしい未来ですので、どちらのパターンにしても応援して行きたい所存です。
何にしても、日本人が当たり前に世界中の企業で働き、当たり前に世界で通用するプロダクトに触れ、開発に関わり、その数が何千人、何万人、何百万人となった先に待っている未来が僕は見たいと考え、10年間やってきましたし、これからも続ける事になると思います。
なぜ日本人はグローバルに挑戦しないのか
この答えは一つ。日本が素晴らしい国過ぎるためです。僕なりの活動範囲と、ビジネスパートナーの一人が中国人であることもあり、中国やインド、あと韓国などのディアスポラについて軽く調べるだけでも、これは明白だと思います。
中国なら一党独裁、韓国は若年層失業率、インドだとカースト制度などなど。彼らには『帰国したら(意味は違えど)ヤバい』という明確な理由がハッキリ思い浮かべられるのに対し、日本人にはそれが殆どありません。「嫌なら帰ればいんじゃない?」「その程度のレベルだと海外は難しいね」と、日本人は日本からくる挑戦者にあまりに気軽に言えてしまいますが、残念ながら彼らの国ではタイミングと背景によっては「死ね」と同義になることすらありえます。
結果、彼らのディアスポラは非常に強固。ありとあらゆる手を使い、あらゆるネットワークを駆使し、同じ人種、同じ言語を喋る、同じコミュニティに属しているというだけで最大限の助け合いを行っているのに対し、日本人のディアスポラには残念ながらそれがありません。ダメなら帰れ、嫌なら帰れが簡単に言えてしまいます。
これ自体は本当に仕方のない話です。その結論と言っても良いですが、各国にある日本のディアスポラ的なコミュニティを散見すると、他国のそれとは大きく性質が違います。他の国が『同じ言語が喋れるから』みたいな希薄な関係性ではなく、日本人の形成する長きに渡って残っているコミュニティには、ある程度確固たる目的と、共有可能な課題が存在していることが多いのです。Frogで言う所のITやキャリアがそれに当たります。
なので、国外において日本人のコミュニティが作られにくいのは「ヤバくなったら帰れば良い日本」があり続ける以上、仕方のない話なのだと、10年に渡るコミュニティ運営で僕は結論付けました。
こればかりは多くの知識人と喋った末の結論としても、恐らく「待つ」しか方法がないという結論になります。日本は本当に良い国です。
しかし「日本やべぇ」から形成されるコミュニティが無理だとしても「あいつらかっけぇ」からくるコミュニティは、僕は今現時点で海外で活躍している日本人を知ってもらうことで世界に目を向ける人たちの増加を早める事は出来ると考えています。
そして孤独と死にものぐるいの苦労が伴わなければ海外に挑戦する資格がないみたいな、養老孟司のバカの壁で言う所の『正解は一つししかないと思い込むバカ』を排除し、日本からどんな人でも挑戦出来る世の中がやってくる未来が、いづれ世界を大きく変えるというのが、僕がFrogという会社を興し10年続けてきたモチベーションであり、使命感となっているわけです。
そしてその小さな一歩がこのカンファレンスです。恐らく世界で初めて北米圏で行われる日本人として北米挑戦した人々のためのTechキャリアカンファレンスであり、注目して欲しいのは彼らの所属する企業やポジションです。こういった多くの国外企業で当たり前のように働いてきた方々が一同に集まる機会などそうありません。
まずは日本人が海外に挑戦するという未来を出来る範囲でスタンダードにする。そのためにまずはこうした方々を含め一箇所に集まり、どんな人がどんな経緯でどんな挑戦を行っているのかを知る、それらが当たり前になり繋がった先に、日本からグローバルスタンダードな企業やプロダクトが次から次に生み出される未来へと繋がると僕は信じています。
というわけで皆様来てください!カンファレンス初開催で勝手がわからず、クソ安い値段設定にしたせいで損益分岐点に全然たどり着けません!大赤字確定ですが、来年も開催したいです!
ある日換気扇が壊れた話
先日僕が住む部屋の換気扇が壊れた話をして終わりにしましょう。
僕の住む部屋のオーナーは中国の人で、バンクーバーにある広大な中国ネットワークとディアスポラに助けられて今カナダに住んでいます。彼女が貸してくれた部屋に2年近く住んだある日、換気扇が故障して動かなくなってしまいました。
その前に住んでいた別オーナーの部屋で冷蔵庫が壊れた際は、結局1ヶ月以上修理がかかり、やれパーツがないだ、やれ業者がこないだ、やれやっぱり行けないだとゴミみたいな対応をされたので、今回の換気扇も数週間で修理が済めば良い方かなと考えていました。
そんな時、たまたま上の階に住んでいたというオーナーの友人の旦那が、僕の部屋に夜の10時に訪ねて来て修理してくれました。修理が終わったのは夜中の12時です。英語が全く出来なかった彼と意思疎通を図る事は出来ませんでしたが、僕はお金を一切払っていません。
ここで驚くべきポイントが2点あります。
一つは、中国人ディアスポラがカナダという国において巨大で、仕事の紹介、英語の学習、ピアノのお稽古から子供の送り迎え、換気扇の修理に至るまで、そのほぼ全てが助け合いの上で成り立っているという事です。
別のエピソードとして、コロナ禍になってすぐカナダでもロックダウンが長引き、多くの家庭で失業者が相次いだ時、とある中国人家庭で育てた野菜や食料を安価で譲り助け合ったという話しを耳にしたこともあります。
二つ目は、英語が出来なくとも英語が第一言語の国で、誰かに必要とされているという驚愕の事実です。
日本から海外に出ていく際、僕は英語は可能な限り習得してからくるように促しています。理由は仕事が見つからないからとか、生活が回らないからとかではなく、とにかく孤独になるからです。
多くの日本人の感覚としては、英語が第一言語の国に行くのだから、その国の言葉が出来ない事は悪です。郷に入っては郷に従え、世界で戦うためにはそんな孤独は乗り越えて当然、英語も出来ないのに渡航するな、そんなこともできないのかと、孤独を紛らわせるために頼ったSNSにすら、そんな辛辣なコメントが行き交う状態です。
一方、カナダでは英語力を証明せずとも永住権が取得出来るカテゴリがつい1年前までありました。そして永住権を取得して案内されるのは無料の政府が提供しているESL(語学学校)、LINCプログラムが存在しています。つまりは英語は永住権取得後に伸ばす事自体、カナダという国は咎めているわけでは無いわけです。
英語が完璧でなければその国の地を踏んですらいけないというのは、多くの日本人が勝手に決めた日本人を落とし込むための謳い文句でしかありません。自分たちが苦労したんだから、お前も苦労するべきという風習は、どこぞの部活動の悪しき風習から何も学んでいないことを暗喩しているようです。
もちろんこれらは移民問題と密接に関わってくるため、これが完全なる正義だとは僕も思っていません。
ですが、現時点においてはきっと換気扇の修理は出来るけど英語が喋れない日本人がカナダに来たとして、生きる術などは用意されていないであろうことは容易に想像が付きます。仮にお金があったとしても、孤独で耐えられません。
そして、その換気扇を直せる日本人が、良い出会いをカナダで果たし、もしかしたら世界を変えるプロダクトを生み出す一人になるかもしれない。彼じゃないにしても、彼を頼って海外へ渡る誰かかもしれない。彼に換気扇を直してもらったおかげで、健康的な食事にありつけた秀才がその浮いた時間とお金で画期的な発明をするのかもしれない。仮に『換気扇が修理出来るやつが残った所で、日本は変わらない』と一瞬でも考えたとすれば、神にでもなったつもりですか?と問いただしたくなる所存です。
その繋がりと繋がりの先に、日本という国の一つの道、そしてグローバル化の波が待っていると、僕は信じています。
いづれ海外に出て換気扇が壊れても、日本人が焦ることのない世界が来ると良いですね。