今だからこそ安定を求めるべきなんじゃないかっていう考えについて

考察

超久々の考察系の記事です。ヤバイですね、1年振りとかそんなレベルじゃないでしょうか。最近ようやく僕自身開発に戻れる目処がたったんですが、もうここ1年間はずっとクリエイターの留学相談ばっかりだったので、とにかく人のキャリアに関する話をほぼ毎日2時間、留学相談の総件数はなんと900件を超えたという、わけわかんない状況です。僕、何屋なん?みたいな。

ただ、幸いだったのは、基本エンジニアかデザイナーの相談ばかりに乗ってきたので、技術的な話も多くアップデート無理やりにでもしてこれたことと、周りにFrog経由で留学してきた人達がどんどん就職が決まり、現場の情報なんかもアップデートの中に入っていたので、飽きることが無かった事でしょうか。

で、面倒だから本題に移りたいんですが、今日は『安定』に関する話です。なんか、微妙にずれるなって思う事が多々あるので、ブログで伝えておこうと思うんですが、僕の性格って、どちらかと言えば物凄い安定思考だと思っています。良く海外に居るっていうだけで、アグレッシブだの、野心家だの、向こう見ずだの、博打打ちだのと言われるんですが、むしろ真逆で、安定したいから海外に出たし、安定したいからスキルをつけた所は少なからずあります。そりゃ皆が皆、冒険大好きって分けじゃ無いし、僕自身そこまでアグレッシブに生きるつもりも無ければ、海外なんて北米と日本くらいしか行った事無いし、別に心置きなく好きな事が出来る、安定した毎日が送れればそれが一番だと思っています。

ただ、最近耳にする『安定』という言葉と、僕の見てきた『安定』という言葉に、ちょっと違いがあるような気がしてならなかったので、少しだけ頭の中をひっくり返して文章にしてみようと思います!

それでは、行ってみましょー。

今や幻想となった安定の話

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勝手なイメージが先行して申し訳ないんですが、基本的にイメージされやすい『安定』のイメージって、大体こんな感じなんじゃないかと思うわけです。下手くそな図で申し訳ないですが、自分を支える様々な要因が折り重なってなる安定ってイメージです。要素も適当です。大体伝わればそれでいいです。

そして確実にこの構造が大事だった時代はあったと思うわけで、バブル期だったり、就職者の売り手市場だった頃なんかは、こういった社会に身を任せる形による安定が存在し、それこそ『景気の恩恵を受けにくい公務員はバカがなる物 ※Wikipedia参照』とされる程、社会の生み出す状況が自分を支えてくれた時代はあったと思うんですね。(実感無いからなんとも夢物語に聞こえてしまいますが)

ただし、当然時代は流れるし、状況は変わる、景気は良くなったり悪くなったりし、社会情勢はあっちいきこっちいき、そういう昔の状況下に身をおいてきた人達の『安定』って、基盤としてある景気や社会、会社、その他様々な自分以外が崩れると途端に脆い。

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これは極端かもしれませんが、とりあえず僕の頭の中わかりやすさ優先のイメージで細かい他意はありません。

ですが、僕らが感じ取るべきはこの図のイメージだと思っていて、今現在、世界的に見て『不安定』とされています。テレビや新聞を見続けていればおのずとそう感じてしまうのも無理は無いと思いますし、実際公務員が憧れの職業に該当されるきっかけとなったのも、また景気の不安定さからくる安定を求めてのことで、ほぼ相違は無いと思うんですね。

で、ようやく本題に入れるのですが、世の中が不安定だから自分も不安定、ならば個人の安定はどうやったら得られるのか、その方法が昔とは全く違うんじゃないかって話が今日は出来ればと思っています。

とりあえず自分で補強するという考え方

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周りが不安定なら、自分が安定するしか無い。僕は以前自分の話はどっかでしましたが、この図以上に恐らく周りからの印象はグダグダだったと思います。そんな自分が「安定、いいなぁ、僕も安定したいなぁ」みたいな事を思うのって、別に自然な流れだと思うんですが、誰かに任せていても、聞く話はネガティブな物ばかり、ならばあらゆる手段を使って自分を安定させるために対策を練ろうと考えるのは、それこそ普通だと僕は思うんです。

「世の中が不安定だから自分も不安定だよね、友達が不安定だから、自分も不安定だ。」それじゃ自分の成長は見込めないし、仮に世の中がガタガタになったら自分も周りもガタガタだという事になってしまうと思います。

じゃぁ、その対策はどうするのか、もちろん企業や社会レベルでの対策は考えるべきでしょうし、考えて欲しい所でしょう、そのための運動や選挙なんかにも積極的に参加する、そういう形での活性も当然有りだと思いますが、じゃぁ個人の努力としては何もせず待ってればよいかと言われれば、そんなことにはならないと思います。

世の中は変化するし、時代も流れる、時代の流れが緩やかだったり、身を任せておいて全て安心という時代であれば、その時その時代の考え方もあったと思いますが、今は3年後の未来すらも予想がつきにくい状況じゃないでしょうか。今には今の、数十年前には数十年前の個人の努力があったと思いますが、その姿形は全く違う物だと思った方が良いと思っていて、じゃぁ今の時代における安定ってなんだろって、僕は考えた方が良いと思うわけです。

なぜ若いウチに国外へ出ろと言われるのか

よく若い内に『一度は国外に出るべきだ』とされる最大の理由って、別にグローバル人材がどうとか、英語勉強しろとかは些細な事なんだと思っています。もちろん僕の勝手な解釈も入っていますが…。

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それじゃ海外に出る上で、最も身につけるべき物って何かを考えると、皆さん外国人として国外で認められる事に対し、漠然とした難しさを感じてはいると思いますが、それが具体的にどういう難しさなのかを理解しようとしたことは少ないと思います。

例えば一部の例外はあるかもしれませんが、多くの国にとっては自国民が第一です。そんな中、基本的に外国人の雇用を手助けしようという社会的な保証が何かしてる国があるかと言えば実質は殆ど無いでしょう、優秀な人材を外部から入れようとする施策は多数ありますが、それも優秀であることが前提なので、僕を含めたお金も、国外で通用する学も無かった一般庶民にはあまり縁の無い物だったりする事は多いです。また、教育に関してもローカルと、インターナショナルの僕らの学費は結構な割合で違います。当然税金を収めていない僕らの学費の方が、場所によっては数倍以上違います。

つまるところ、自分以外頼れる状況がほぼゼロの状態です。こっちには旨い話があるよと『未経験、外国人歓迎』みたいな看板でも下がってれば、殆どの場合超怪しいので100%疑ってかかるべきです。そこから、その国の一般人と同じレベルにまで自分自身の社会的地位を向上させる努力というのは、英語がどうとか以前の問題として自分が必要とされる理由を構築する作業に等しい。また日本のように終身雇用や新卒採用の文化は無いのと、日本に比べると人が解雇しやすいという状況も手伝って、尚更その難しさが倍増してきます。

とにかく、何の保証もバックグランドも無い人が殆どなので、自分でなんとかするしか無い。もちろん知識や情報、過去の事例というベースで話を聞く事は出来ても、結局は自分を売り込む術みたいな物を自分で身に付け、自分の身につけてきた物が、どう相手にとってのメリットになるのかを伝える。よく国外の学校ではプレゼンや人前で話をする機会がとても多いみたいな事を耳にしますが、それはそれが必要最低限の身に付けるべき能力の一つだからだと思います。

ただ、若い内にというのは別に年齢がどうこう問題ではなく、若いウチの方が外国人としての活動の幅に可能性を見出しやすいという意味じゃないかとも思っています。実際、ビザの問題点を解消するかもしれないきっかけが年齢であることもたまーにあるので、その辺は現実問題として、若い内に越したことが無いという意味です。

何にせよ、これだけグローバル社会だなんだと言われる中、一度として外国人として認められるための努力をしたことが無いというのは、いささか疑問を覚える部分でもあり、未だ英語というツールのみを目的として、観光の延長としての留学しか一般化されていない現状は、正直変えるべきだとは思っています。(カナダの場合は観光ビザでも語学学校の入学は可能ですので、観光の延長という解釈はまんざら違うとは言えないと思います。)

このゼロベース出発こそ、最も得る物が多い最高の環境

日本で日本人として生きる、この意味を皆さんはどれだけ噛み締めた事があるでしょうか。どれだけ恵まれた環境にいるかと考えた事はあるでしょうか。医療保険、義務教育、社会保障。不満はある部分もあると思いますが、それでも日本という国がどれほど日本人を大事にしようとする社会であることなんて、一度海外に出てこのキャリアも経歴も役に立たない、っていうか誰も注目しないゼロベースからの出発を経験していたのは大きかったと思います。

僕自身日本で社会人した後に海外に出て、ここまでの8年間の海外生活と活動の中で何が一番得る物が多かったかと聞かれれば、このゼロから出発して、その国に認められるだけの地位に上り詰めるまでの過程だったんじゃ無いかと思います。

間違っても語学留学の話では無い

ちなみに、これはその辺で良く耳にする一般的な語学留学で身につくことなんてありません。自分のスペシャリティを何も見出していない状況で、どんな国で何をしゃべろうが、容姿端麗でも無い限りは興味は持たれない、所詮世間話くらいしか出来ない。その場その時を仲良く過ごして友達を作る事と、自分のキャリアの一部としての留学は全く違う別物です。

語学は当然、一つのツールであり、そのツールを使い何を伝え、何を得て、何を学び、何を生み出すのか、それがキャリアという面においてはほぼ全てだと思います。

逆の立場だとして考えて、外国人が日本に日本語を学びに来て、仲良く飲み会に行けるレベルに日本語習得したからビジネスマンとして日本でも活躍出来るかと聞かれれば、んなわけないじゃーんの一言で一蹴する人は多いと思います。

残念ながら現代の留学の殆どは日本においてはあまり意味をなしません、現に留学生は年々減ってきてるし、去年末に日本で、小規模から大規模な人材業者の方と多数お話を聞いてきましたが、中には留学生に対し印象が悪い所もいくつかありました。現実問題、留学と呼ばれる立派なキャリアの一部は、殆どが観光か自分探しの延長としての役割しかなしておらず、年収にもキャリアにもさほど影響を及ぼさないのが9割近いと思います。

もちろん、海外で働いた経験があるとか、事業で成した事があるとか、目に見える成果やリファレンスがある場合は話は別です。なので、留学という事業に関わっているにも関わらず、こういう留学に対するネガティブな事が書けるのは、僕らのクリエイターとしての海外経験が、日本企業にとっても非常に有益になると多くの企業からお墨付きをもらえた自信の現れでもあるつもりですが、大多数の留学生と呼ばれる人達は、海外に出て、とてもビジネスでは使い物にならない英語を身につけ、ローカルの外国人と飲みに行ったりカフェでバイトしたらそれがゴールなので、そりゃブランクを嫌う日本の企業だと毛嫌いする所も出て当然だろうと納得してしまう思いでもあります。

もちろんそんな語学留学でも、奇跡的な出会いや意識改革みたいな物が運命的に起こり、思いもよらない大変化に出会う人も少なからずいますが、そんな話、1割にも満たないのが現状だと思います。

安定を前提にした上での自分構築の意識

話を戻しまして、じゃぁここで言う所の頼るべき自分を構築するためにはどうすれば良いのか。そんなもの、人によって完全に千差万別なので、一概に「これすればそうなる」みたいな物は全くありません。それこそ、人のキャリアは千差万別であり、一人として全く同じキャリアという物はありえないのと同じかとは思います。ただ、考え方のベースはあると思っていて、約900人前後の留学相談を通して海外で通用するためにどうすれば…と、様々な人の話と相談に乗ってきた上での経験談にはなりますが、基本的に僕の持論と僕の経験談でよければという前提で書いてみようと思います。

自分がキャリアを構築するという当たり前

これはうまく日本語に表す事が難しいのですが、日本の就職活動やその実態は世界から見ると非常に異質な物には映ります。どれもこれも、適当にググったら出てくる物ばかり思い浮かぶので、その辺は端折るとして、全体的に見て自分自身の手でキャリアを構築するんだという意識が低い人がたまにいるなと、例えば、

こんな企業で働けば”きっと”こんな経験が積めて、”おそらく”こういう風にしてくれて、”たぶん”40代になったら一軒家とか買えてて、”出来れば”60代で退職する。

みたいな感じ。自分でキャリアを積む意識を常に持ち続ける上で、こんな不安の塊のようなキャリアパスは怖い。

自分がどんな行動をし、どんな結果を出し、誰に認めてもらい、いつそれが必要とされ、その成果はどれだけ評価され、誰にとってのプラスとなるのか。

常に自分が行動してきた事案全てが自分のキャリアとなる意識と、周りに流されてキャリアとする意識では、その行動と結果に雲泥の差が出ます。

確率論で自分のキャリアを考えない

また、最初に書いた幻想的な安定を求める方からは、『確率論』で話をされる事も多いんですが、『起業とかするより、安定した会社で働く方がうまくいく確立高いじゃないですかー』みたいな。じゃぁ起業とかして成功する確立が6%とか3%と言われますが、その幻想的な安定に対する確立は果たして何%なのかを考えたことがあるでしょうか。なんとなく周りがそういうから、まだ高いだろうと思ってる節は正直あると思います。

MARCHレベルの大学に入れるのが上位10%以内くらいでしょうか?その中で完全安泰とされる大企業へ入れる可能性は更に何%でしょう?その時点で確立論だけで言えば起業と同じくらい低確率じゃないですかね。その上、その会社が間違いなく成長し続け、無事に老後を迎えるだけの昇進を果たすとすれば更に何%ですか?決算報告書とにらめっこしただけわかる問題でも無いでしょうし、なかなか難しいですね。

というわけで、果たしてその幻想的安定が実現する『確立』は、何を持って算出されているのかと言えば、それこそものすごく不安定な物だと思うわけですよ。

で、概ねその確率論の出処は、先生だったり両親だったりとする事も多いですが、彼らが仕事をしだしたであろう数十年前と、現代とでは全く状況が違います。先見の明として意見を頂戴する意識も大事ですが、今の時代を生きるのは自分であるという意識もまた、僕は話を聞いたり見たりする上でも、必要な作法の一つじゃないか無いかと思うわけですね。

変化に柔軟に対応出来る体制と自己投資

大学という場所は僕の中で『30代で入ることを目標としている場所』です。なぜなら、その時代に必要とされる事を、必要な時に学べる絶好の場所と機会と捉えているからです。もちろんそのためには30代の内に資本のみならず時間と場所、作業の効率化と自動化、第三者の教育と、まぁ思いつく限りでも腐る程あるわけですが、それに対し動いている自覚と自信はあります。

これを異質と捉えるのであれば、後10年を司るやもしれない技術改革や時代の変化が起こった時、または自分の居る業界の存在価値が薄れた時、どういう要因でも良いですが、自分が変化しなければならない状況下に陥った時、どう自己投資しながら次の変化を受け入れる準備をしているのでしょうか。仕事の合間をぬって勉強ですか?それで何時間捻出出来ますか?あの時もっと勉強しておけば良かったと後悔しませんか?そういう意識って、変化がある無いに関わらず、僕は大事だと思うんです。

先を予想するための努力は過去の偉人達も伝え続けているはずです。その対策の一環として本を読み、新聞を読み、人の話を聞き、過去を参照したからこそ未来に活かす。そしてその未来に対する予想は僕には僕の、他人には他人の予想があります。もちろん著名な方の予想を聞いて参考にするのも良いでしょうけど、それでも結論を出したのは自分です。

ただ、大事なのはその自分の立てた予想に対し、現時点で何をしているか、どれだけ柔軟に対応するための準備と自己投資をしているのかという意識を忘れぬ事なんじゃないかと僕は思うわけです。

どれだけ安泰だなんだと言われていても、世の中は変化し続けるわけだから『30代後半、一生安泰だと思っていたのに。』みたいな、まったくもって変化に対応する意識を持たない結果だけは避けたいと、僕は思っています。

自分にはこれがあるからという自信と、それが絶対では無い意識

だいぶウダウダ書きましたが、結局はこれだと思います。自分にはコレがあるというこの意識は、作ろうと思った瞬間に身につくものではありません。ましてや、就職して仕事をしてれば身につく物でもありません。更には学校に行って自動で会得出来るものでも、断じてなければ、海外に行ったら空から降ってくる物でもありません。

よく、Frogの海外就職を目指して留学相談に来る人の多くには3年と伝えています。3年後『私、外国人ですが、私にはこれがあるからあなた達には必要な人間だ』と言えるようになって欲しいと、そう伝えています。

とりあえず同じスキル、同じ経歴で外国人とローカルの人間並べられたら、そりゃローカルの人雇うに決まってる。それだけ不利な状況からのスタートが外国人としての(少なくともFrogが考える)海外留学です。

そして別に海外じゃないとそれが身につかないかと言われれば全然そんな事は無いと思っていて、その自信をつけるために必要な時間と期間は、今まで見てきた中だと大体3年って言う人が多いなってレベルですが、1年を学びに、1年を調整に、1年を実践にと伝えるこのプランは、いまのところFrogの代表的なステップです。

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で、それに対して一度でも『自分にはこれがある』を構築したら、そのことは一度全て忘れるまでは行かずとも執着する事は辞めましょう。どうせすぐに次の学びが目の前にあります。

ただ、ここで『あぁ、一生勉強なんてだりぃ』と思う人は、恐らくは自分の得意とする分野において誇れる物を持ったり、他人を魅了し、納得させ、必要と迫られた経験が無い方は多いのではと思います。

自分に対しての自信を持つ事、それは中毒性のある物です。だからこそ、過去10年の経験があるからという自信や経験を、(変化を受け入れているかはともかく)振りかざす人だって居るし、若いころはこうだった、ああだったと自信有りげに自分語りをする人だっています。

それに、一度自分の自信を構築してしまった人は多くの場合、その手段を身に着けている場合が多いので、次の自分の自信を見つけるのに、初回程長い(3年とか)みたいな時間はかからない場合が多いと思います。

なので、僕らが考える所の3年後の未来を構築するための努力という期間はたぶん一生に一度で良い、ただ、その努力は誰かにやれと言われてやった努力では無く、自分がどうなりたいか、どんな自信を身につけ、自分を含めた誰を幸せにするのかに、頭をフル回転させて考えぬいた努力であって欲しいと僕は考えています。

 

以上、いかがでしたでしょうか?

色々書いた後で怒られるかもしれませんが、バンクーバーのように住んでる人種すらも不安定な街にいると、人によって言葉の定義や捉え方は本当に様々だとつくづく思います。『安定』と書いて『楽』と読んでるなって人もいれば、『安定』と書いて『努力』と見る人もいます。僕のように『変化』と解く人だっているでしょう。そういう千差万別沢山の理屈や言葉を受け入れた上で、他人や世の中に流されない自分を作り上げる事って、当たり前のようで実は流されているだけでは身につかない。でも、これからを生きていく上では本当に必要な教養の一つだと思うので、今日はブログでとりあえず書いてみました。

 

いやー、最近はネタのストックもしてなかったので、普段考えてることのアウトプットになりましたが、今後定期的にこういうアウトプットも頑張っていこうかなと思うので、興味あるわって人はよろしくお願いしゃすー。

っていうか思った以上に長文になってしまいました、すいません!それでは皆様、よき安定ライフをー。

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